11/9;片道切符の富士のふもと編END
件の事件から2週間が過ぎた。
記憶の抜け落ちた5日間、突貫工事の引っ越し、実家の部屋の片付けも何とか終わらせ、モータショウに2回行って、水面下で会社と交渉もした。とても2週間でやったこととは思えない。もう一月はたったんじゃないかとすら思えてくる。
そして先日、会社との交渉も終わった。こちらの主張も認められたのは温情なのか、はたまた厄介者はさっさと切るに限るなのか労基だ弁護士だというゴタゴタにはならずに双方同意の上「結末」を迎えた。
しばらくは毎日病院行って「お勤め」をする日々が続きそうである。作りかけのプラモや勢いで買ったガレキも組まないといけないしのんびりとは言えないけどゆっくりとした時間が過ごせそうだ。
最大の心配事である金の問題も何とかなりそうで期限とかも心配することもない。今までの悪循環も絶つことができ治療に専念することができる。人生終了のバッドエンドから何とかノーマルエンドに這い上がれただろうか。
それにしても口では「樹海に行く」とか言うけど、いざ実行する度胸なんて無い私がなぜあんな行動を起こすことができたのだろうか?
あの時の心理状態とか思考とかは全く覚えていない。ただ覚えているのは「最後通告」を聞いてからしばらく呆然としてPCの電源を落とし、2人の人物にメールを送って、手際よく遺書を書き残し、最期の準備をしたことくらいだ。
抜け落ちた記憶を掘り起こしても仕方ないし、こんな事早く酒の席の笑い話にできるくらいにしたいが、どうしてもその行動を起こすに至った「トリガー」のようなものが気になって仕方がない。そして、「この手の行為」を行うのには相当のエネルギーがいる。そんなエネルギーがどこにあったのか?
わからないなぁ...。
あともう一つ。病院を退院してから一時家に戻り、今に至るまでの感じた最大の疑問。
何で27日の時点でメインのPCが本体+液晶2台+マウスとキーボード+ケーブル一式のセットで実家にあったのだろう。しかも組み立ててネットまでできる状態で。
(覚えてないが状況からして)住処でPCばらして、私の車に運び込み、実家についたら部屋に運んで組み立てるまでの記憶なんてもちろん無い。引っ越しの日に住処に入って机周りを見た時PCだけがきれいに外されてケーブル周りもきちんとまとめられている見事な様に恐怖すら覚えた。
生き死に経験して、前後不覚の状態でもPCだけはちゃっかりと持ってくるその根性、賞賛に値するな...。
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